人は疑うべきだよ。
人を疑うとはつまりその人間を知ろうとする行為。
と、これはライアーゲームの秋山選手の言葉ですがワタクシの人生観に深く影響を与えた言葉の一つであります。
さてパチやスロにおいては解析値という数字があります。
まぁ要するに解析された数値な訳ですが立ち回りの基本はここにあります。
これを信用しない事には勝利へのロジックは構築されない訳です。
例えばスロットの設定における機械割や天井に対しての打ち始めゲーム数による期待値。
パチンコのボーダーなどなど。
これらの数値は解析値があってそれに応じて導き出された数値で、多くの打ち手はそれを基準にやっておるかと思います。
で、勿論この数値を信じないことには立ち回りなんて確立出来ないのですが、
それでもこの数値って疑って掛かるべきだと思います。
何をバカなとガチ勢の方達は申すかも知れませんが、少なくともワタクシは機械であったり人が作った物である以上は疑うべき余地はあるかと思います。
そんなのオカルトだろと言われたらそうなのかもしれませんがオカルトだって実体験に基づいた経験則から導き出された意見であって、偏りの可能性が基本ではあるものの人為的である可能性というのは否定出来ないかと思います。
まぁだからと言ってオカルトを軸に立ち回るのは解析を軸に立ち回るのよりも疑うべき要素が強いので絶対的にオススメしませんが。
で、例えばの話だけど天井前にストッパーがあるとかAタイプの100ゲーム以内が連チャンしやすいとか。
これって言うのは人間はネガティブな経験、いわゆる被害妄想が強いから天井前の当たりは印象に残りやすいとか、完全確率の場合は浅いゲーム数ほど消化サンプルが多いから必然的に当たりの絶対数も多くなるとか、オカルトをある程度論理的に説明する事は出来ます。
ただワタクシが疑うべきだと思うのは、完全確率の台の当たりムラが一昔前より荒くないかいと言うお話。
これは比較の話なので説明が少し難しい。
強いて言うならイイ思い出の台は強く印象に残って悪い思い出の台は残りにくいってぐらいか。
具体的に言うと一昔前のAタイプは500ハマりすら割と頻度は低く1000ハマりはかなりレアなのに最近の台では見かけ易かったり、甘海なんかも概ね300ぐらいまでには当たってたのに今はザラに500を抜けるといった感じです。
競技人口は減ってるはずなのにハマり頻度は多くなってると感じるのも矛盾。
いやそんなハマり頻度が増えてるなら確率そのものがおかしくなるじゃんって話なんだけど、そうならないのは逆に連チャンも激しくなってるからで馴らすと同じような確率に落ち着くといった感じ。
共感出来ない人が多数ならワタクシの被害妄想という事になると思うけど少なくともワタクシはそれを疑っております。
んでじゃあこれってどうして起こるかと言うとワタクシ個人の見解としては、
内部的にモードがあるのではないか?
といった感じです。
完全確率のはずの物が実は内部で連チャンモードとハマりモードを行ったり来たりして長いスパンでは解析の数値に落ち着くみたいな。
まぁこれはワタクシの一つの仮説でして、賢明な諸君はこれを鵜呑みにしたり立ち回りの軸にしてはダメです。
が、これを疑うという着眼点は持ってみてもイイかもしれません。
遠隔だどうだとかあまり意味のないわめ散らかしはワタクシも好きではありませんが可能性の一つとして疑いの目を持つ事はありかと思います。
そしてこれはパチ、スロだけの話ではなく人生における何に対してでも言えると思います。
まぁ話半分に聞いて頂ければ幸いです。
結局確かめようの無いことではあるし。
あ、負けたから言ってる訳ではないよw。
むしろ今日は久々に勝ったから。
明日も頑張りマッスル。