一概にどっちが正しいとは言えないものの基本になるべきは絶対評価だと思う。
しかしまぁ世の中の相対評価の多い事。
ただ比較が無ければその立ち位置は把握出来ないわけで、そういう意味では絶対評価も相対値あってこその絶対値ではあるんだろうけど。
んでまぁ何が言いたいかと言うと、蒼天の拳が面白かった。
こっちのねw。
世間一般ではク◯台認定されてるだろうけど、当時は時代を変えるかもしれないゲーム性だったりある程度のビッグタイトルだったと思う。
まぁ結果はと言うと目押しを常に強要するク◯怠仕様、ただ単にコインを使わせる為だけのようなク◯怠引き戻し、行ったり来たりでこれまたコイン使わされる上にイライラするク◯怠七星ゲージ。
これに加えて圧倒的ダメージを与えてくるク◯怠ペナルティー入賞と絶対評価でも相当なマイナスを与えてくる仕様だったのは事実。
ただこれに関しては近々の台が随分と楽になっただけでAT全盛の4号機時代は目押しするのは普通だったしペナももっと酷かったし、5号機初期ですらリプパン外しとかで目押し出来ない人には多大なダメージを与えてきてたし、時代が違えば実はそれ程酷評される程のものではないかと思える。
それでいてあのゲーム性も今打ってみたら十分と楽しかったよ。
結局その時その時で流行りが違うのは仕方がないけど流行りとかではなく台そのものを色んな角度から正確に絶対評価されていたなら、これもまぁ1つの形と十分に思えるという事。
この蒼天が悪いんじゃなくてあまりにも与えられすぎてそれに乗っかり過ぎて考える力が不足してくると本来の楽しさも見えなくなるのではないかと思います。
楽しみ方を求めるのではなく自らどう楽しむか。
かつて秘宝伝 〜太陽を求める者達〜 が酷評されながらも時代が進むとそれに合わせて人気を上げてきたように台そのものが悪いのではなく相対評価にて人は評価しているから絶対的本質が見えていない気がする。
と、今回はお説教回w。
まぁアラが凄いのも事実なんだけどねw。
それでもこれはこれで楽しめる。
これからスマスロも出てくるから相対評価で6.5号機とかは酷評されるのかもしれないけど性能差はあれど絶対的楽しさはどの台でもちゃんと見つけられると思う。
自分はそういう大人になりたいw。