人間って生まれた時はみんな天才だと思う。
昨今では遺伝子レベルで才能の解明なんかもされてるけど、それが低度だったとしても多分並の大人よりは天才。
子供の凄いところは発想力や想像力、行動力なんかも極めて高い。
これは先入観などが少ない為、思考に対してブレーキをかけるものが少ないからだと思う。
大人になればなるほど誰かの思想や世間の常識、倫理観なんかがここにブレーキをかけ始める。
勿論子供は良くない事に対してもブレーキが無いので、ここを躾けるというのは社会で生きていく為には必要な事なのも事実。
ただ、、、
その「良くないこと」は本当に良くない事なんだろうか?
子供の才能が無限大だと思う身近な例はスーパーなんかによく張り出されてるぬりえ。
今のご時世にもあるかは知らんけどワタクシが子供の頃なんかにはよく見かけた。
これね、小さい子であれば小さい子であるほど当たり前だけどルールが無い。
例えば枠を思いっきりはみ出して塗られてたり、人物だとして肌の色が緑色だったり、服と肌の色が一体化してたり。
保育園児ぐらいだとこれはもう無限。
何だったらぬりえ外にも色塗ったりする。
これが小学校の高学年ぐらいになったら、それはもう綺麗に枠の中に色を塗って色彩も鮮やかにまとまった構成になる。
当たり前だけど後者の方が整って見やすいし、ぬりえとしての精度で言ったら高いのかもしれない。
ただ、全てのぬりえが概ね同じ方向性になってくる。
例えば日本人に塗らせたら皮膚の色は概ねはだ色に統一される。
こういった単一性は小さい子の書いた無限のぬりえの可能性には遠く及ばないと個人的には思う。
結局社会も同じで綺麗になればなるほどつまらなくなるし可能性も狭くなってくる。
繰り返しになるけど勿論ルールに則って仕上げる事は大事。
けどそこにあるルールって本当に絶対遵守のルールなんだろうか?
例えばぬりえの性質上、線ははみ出さないというルールは守るにしても肌の色を白や黒にしたって問題は無いし、一部の芸術センスのある人なら人間では考えられない色に配色するかもしれない。
枠外に何かオプションを添えてもイイかもしれない。
ぬりえというルールは逸脱するかもしれないけど、絵から汲み取れる世界は広がるかもしれない。
こういったことは果たして「良くない事」だろうか?
子供が無限の可能性から天性を狭めていくのは間違いなく周りの環境で、変なルールを押し付けられた人程どんどんバ◯になっていくと思う。
ただルールというものはこれまた環境によって適切なものが違ったりするから、ここに正解はなく難しいのもまた事実。
結局、環境に関してはハッキリ言ってガチャだから自分の天性が限りなく狭められてたとしてもそれは本人にはどうしようもない。
運が悪かったとしか言いようがない。
ただこの狭められてるかもしれない可能性に気付けたなら、今からその枷を取り払って可能性の獣に戻ることは出来る。
今自分が常識だと思ってる事は本当に常識なのか?
世間を、自分を疑い続けて偽りの枷を外していけば可能性はもっと広がるはず。
違う明日が開けるはず。
おっと、、、誰か来たようだ。
つづく。